星越トンネルを抜けて、下部鉄道は終点・惣開駅へと続いていきます。
現在は坑水路が残るのみで、そこに鉄道があったとは想像もできません。
惣開というと、現在の惣開小学校(イオンモールの西側)あたりを思い浮かべる人が多いと思いますが、
実際は海沿いの工場の多いエリアを指します。
ここは、幕末期に当時の別子支配人・清水惣右衛門(しみずそうえもん)が開発し
彼の名に由来して名づけられた土地なのです。
明治二十一年(1888年)、この地で惣開精錬所が操業を開始します。
これにより、それまでは大阪で行われていた粗銅の精製を
すべて新居浜で行うことが可能になりました。
また、銅山用の物資供給や銅輸送の拠点となっていた新居浜分店(旧口屋)が
同二十三年(1890年)には大江から惣開へ移転し惣開精錬所と合併、
新居浜製錬所と呼ばれるようになります。
同二十六年(1893年)には下部鉄道が通り、その後銀行や病院なども建設され、
惣開の地は工都・新居浜の本拠地となりました。
その一方で、煙害問題や労働争議が発生し
工都としての発展を遂げるなか新たな問題にも直面していきます。
良い意味でも悪い意味でも、人々の熱気に満ちた町だったのでしょう。
時代が明治から大正に移り変わるちょうどその頃、
尋常小学校を卒業したばかりの少年が、香川県高松市から新居浜へやってきました。
彼は当時金子村と呼ばれていたこの地で、十二歳にして左官職人に弟子入りします。
鉄道、精錬所、煙突、空を流れる煙。
その目にはどう映っていたでしょうか。
この少年が、弊社の礎となる米谷組を設立した、米谷忠重です。
K
参考:
歓喜の鉱山(やま)-別子銅山と新居浜- (新居浜市編)
産業遺産を歩こうマップ (新居浜市商工観光課)
写真と俳句でつづる別子銅山 森になった街 (夏井いつき著)
新居浜の産業経済史 (新居浜市編)
新居浜の文化財 (新居浜市文化財保護委員会編)
別子銅山近代化産業遺産八十八か所 ふれあいめぐりあいガイドブック
http://nmh.hearts.ne.jp/MTM/guidebook/index.html
(2016.03.03)